「ひろこの部屋vol.13」7月15日配信・銭湯の謎の美女・湯女(ゆな)とは

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ひろこの部屋

 

こんばんは、affetto.店長の大角です。

先日お友達がなんと、神宮球場のヤクルトvsカープ戦で始球式をしました!
ラジオのパーソナリティとして活躍している友達なのですが、
始球式をやると聞いたら駆けつけるしかありません!
真夏日の中17時スタート。暑いのなんの・・・飲みものを飲んでも飲んでも喉が乾く!
友達の始球式をするのはとても過激でした。
大画面に映し出された友達を見た瞬間もう母の気持ちで・・・

大号泣!!!!

周りの人に若干引かれる、という苦笑いな思い出ができました。笑


(この後泣きやみ、タオルをかぶって唐揚げを頬張る大角店長)
ということで、本日のメルマガは、前回の続き「混浴のお風呂」のお話です。
先日のメルマガでは昔は混浴が当たり前だったという話をしました。

江戸時代に書かれた絵なんかを見ても銭湯は混浴です。
今日はその中でもちょっと過激な「湯女(ゆな)」という女性のお話です。

江戸っ子たちにも銭湯は大人気で、600軒以上の銭湯があったんだそうです。
当時の銭湯代は物価に比べると激安だったため、どこの銭湯も大盛況でした。
銭湯には三介(さんすけ)と呼ばれる奉公人がいました。
この三介がお湯を沸かしたり、お客様の背中を流したりしていました。

その女性版が湯女(ゆな)です。
ただ、湯女は三介と違って奉公人というだけではありません。
男性客の性的サービスも行っていました。
大型銭湯では、湯女が20-30人もいたそうです!

江戸は男性の方が圧倒的に多い都市でしたから、お客は絶えません。
湯女の存在で、あの吉原は一時は衰退したのだそうです。
ただ吉原にとってはとんでもない営業妨害、黙っているわけにはいきません。
幕府が遊女を商売として認めていたのは吉原だけでした。
風紀上問題視にもなり湯女は廃止となりますが、廃止するまで幕府は大変苦労をしました。
宿屋は飯盛女(めしもりおんな)という名目で娼婦を雇っていたように、
銭湯や人々の生活に密接に関わっていたのですから。

明治に入ってからはかなり厳しく規制されるようになり、7歳以上の混浴は禁止という法令ができます。
このあたりから銭湯の作りも改良され、現代スタイルの銭湯に近づいてきます。
お風呂は1日で一番気持ちいい時間なので、できれば家族や大切な人と一緒に過ごしたいですが、
公共の場で男女共同となると、やはり性的な色も強くなるんですね。
ただ以前のメルマガでも書いたように、ドイツでは混浴のサウナが当たり前にあります。
温浴施設でに男女別なのか混浴なのかを当たり前に、
自由に選べる時代が来たらもっとバスタイムが楽しくなりそうですよね。

それでは、また来週。

アフェット店長:大角浩子
(編集後記)
アフェット事務所が移転することになりました!
お引っ越し準備で大忙しです。
移転先のオフィスはブラインドではなくカーテンにしようかな、カラフルなカーテンならインスタにアップしても可愛い〜なんて毎日妄想してます^^
affetto.オフィシャルのインスタはこちら